感情ウンコ概論a

私はとんでもないことを発見してしまったのかもしれない。

小学生の頃から「神童だ」「天才少年だ」「マセガキだ」などと言われていただけあって、俺のこの発見はそれは、ほんともう、令和の新時代に激震を起こすものであるのだ。では、それは一体なんなのかというとずばり、""感情ウンコ論""である。もちろん突然感情ウンコ論などと言われても気が違っているのかと言われてしまうかもしれない。つまり感情ウンコ論とは"感情とはウンコなのである。"ということだ。

 

感情とウンコには非常に多くの共通点がある。まず一つ目、感情(ウンコ)は恥ずかしいものだということだ。感情を露わにし、他人に激怒したり号泣したりすることは多くの人にとって恥ずかしいことである。言うまでもなく、脱糞してる様子やウンコを漏らしてしまった時も多くの人は恥を感じる。

そして二つ目、他人の感情(ウンコ)は迷惑だということだ。他人を慮ることなく、自分の感情のままなされる発言は他人にとって迷惑であることが多い。非論理的かつ感情的な行動、言動は他人に迷惑をかけてしまうことがある。言うまでもなくウンコもそうだ。自分の家の庭に誰かがウンコをしても笑って許してくれる人は少ない。

そして三つ目、感情(ウンコ)はくさいということである。他人に好意を伝えるときのキザな言葉というというものは時折、"くさい"と形容されることがある。この"くさい"とは一体何臭いのかというと、ウンコである。ラブストーリーにおいて「くさいかもしれないけど、一生そばにいてくれ。」というのは、「(うんこ)くさいかもしれないけど……」ということなのである。

さらに四つ目、感情(ウンコ)を溜め込むと病気になるということだ。自分の言いたいことをなかなか言えずにいるとパンクしてしまい、精神を病んでしまう。ウンコも同じく溜め込むと便秘になって胃腸を病んでしまう。適度に発散しなければ異常をきたしてしまう。

 

どうだろうここらでまとめてみよう。

 

  1. 感情とウンコは恥ずかしいもの
  2. 他人の感情とウンコは迷惑だ
  3. 感情とウンコはくさい
  4. 感情とウンコを溜め込むと病む

 

ここまで言われたらいくら物分かりが悪くても理解はできるだろう。他にも、赤ちゃんはウンコと感情がだだ漏れであるなどがある。

 

しかしここで、「でも感情を昇華させた芸術作品はウンコとは違って美しいじゃないか」と言ってくる人がいるだろう。その意見は感情ウンコ論初心者が陥りやすい勘違いだ。ウンコだって食べたものを消化してできたものだ、などというくだらないものではない。

今回は感情を表現しやすい歌を例に挙げて考えてみる。

確かに歌というものは作曲家作詞家の感情にメロディや詩をつけたものである。しかし作曲家作詞家にとって元々はウンコなのである。しかしそのウンコというものをいかに美しくいかに詩的に表現することというのが作曲、作詞ということなのである。作品を享受する側はそれをウンコだとは感じない。要するに芸術とはカレー味のウンコなのである。自分から出たウンコを美味しくカレー味にしているのだ。そしてそのカレー味のウンコを食べて、ウンコを作りカレー味にして提供することによって文化というものは継承されていくのだ。現代のバンドの基礎の全てはビートルズであるという言葉があるが、言い換えるとビートルズが巻き散らしたカレー味のウンコを食べた人のウンコのウンコのウンコのウンコのウンコくらいが現代のロックミュージックであるということだ。ミュージシャンは自分が作りたいものと求められているものの隔たりに悩むことがある。よく言われているのがカートコバーンのスメルズライクなんちゃらである。自分が好きな曲ほど評価されず自分が嫌いな曲ほど客に人気であるということは稀ではない。

感情ウンコ主義者の私からしてみればバンドなんていうものは一生懸命にウンコして見てもらっているようなものだ。恥ずかしいとは思わんのか。特にドキュメンタリー映像なんかウンコしてる模様をカメラに収めてるのとなんら変わりはない行為である。ライブ映像なんてのはステージの上でウンコを振り回し、それを見て目からウンコを流してるウンコの大乱闘状態である。しかし、カレー味のウンコを食べてウンコしてしまう人がいるのも事実。強烈な匂いが案外と癖になってしまうものだ。俺はこれからも感情ウンコ主義者として、天才たちのウンコを楽しもうという所存だ。

 

また、補講で"カレー味のうんこvs.うんこ味のカレー"もあるので興味がある人は是非。

 

参考にすべき素晴らしいウンコです。

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